

蒲田の電気屋さんの側には座りたくないとつい思ってしまう。彼のは、コマセカゴの上窓全開にして、水面から頭上まで一気にシャクリ上げる釣り方だ。だから、コマセは一回タナを探ると無くなってしまう。他人の倍はコマセを使うから不公平この上もない。
ところが、このシャクリが往々にしてぴったりと的中するから恐ろしい。そうなると不思議なことに、我々の紳士的なシャクリにはほとんど魚が掛らなくなるのだ。電器屋さんパワーで三軒両隣の魚まで吸い寄せられてしまうようで、船中には嫌な雰囲気が漂い始める。
その内「まるで物量で勝負を仕掛けて来る米軍みたいだ」と陰口まで飛ぶ。彼のは仕掛けも大振りだ。ハリが2号、ハリスが2号と船宿の純正仕掛けだ。だから、魚が掛ると船縁に竿を当ててぐいぐいと容赦なく巻き上げる。大型のハナダイが掛ってもマダイが掛っても容赦せずに強引に巻き上げるものだから「切られた!」を連発する。アタリがない周りの客は、それを見て益々頭に血が上るのだった。
色気を出して私も何度か真似てみたが、どうしてもこちらには釣れない。益々イライラしてくる。しかし、我々が釣れ盛っている時に、彼だけ釣れないこともある。釣りには理論的に解析できない部分が多々あるから面白いかもしれない。
この人は他人に負けたくない性格らしい。釣果を尋ねる時は必ず相手に先に言わせてから自分の数を言う。だから、私は未だに彼に勝ったことがない。
一夜干し
やや大き目のは一夜干しにする。一夜干しを上手に仕上げるポイントは塩加減に尽きる。たて塩くらいがいい。白身魚と赤身魚では、塩加減に随分と差がある。当初、私はアジの干物を作る感覚で塩の分量を決めていた。
珍しいものだから、出来上がったらすぐに冷凍庫に仕舞い込んで、何かの機会には親類や知人へのお使い物にしていた。ところが、田舎のおふくろが「塩辛いけどウメッケ。野菜と一緒に鍋物で食べダッケバ」と連絡をくれた。
すぐに冷凍庫にしまってあるものを取り出して自分でも食べてみた。おふくろの言う通りだ。塩辛くて食べられたものではない。講釈たらたら自慢話付きで送ってあったから、なんとも恥ずかしくて、暫くは落ち込んでしまった。
この魚は、硬い頭まで奇麗に開くには技量が要る。だから、気分次第では頭を落として開きにすることもある。或いは、カマスの一夜干しように頭をそのままにして背開きにする手もある。一夜干しにした頭は、熱湯を注ぐと素晴らしいお澄ましになる。魚臭さが気になる人は三つ葉や柚を入れると良い。
熱湯ならぬ燗をした酒を注げば、ハナダイの骨酒だ。骨酒にするなら塩はあまり振らない方がいい。
干すのは冷蔵庫の中が無難だ。ハエもホコリもつかないからすこぶる衛生的だ。しかし、量が多いと、冷蔵庫担当の女どもが嫌な顔をする。そんな時は、竹で編んだ大ザルに乗せて夜間ベランダに出しておく。
猫が出入りするような環境なら、釣具店で売っている専用ネットがお勧めだ。乾燥していて風のある晩なら、翌日の朝食に間に合う。
乾きが悪いようだと、午前中は天日に当てたままにしておく。ザルの上にならべてある方はウンチバエの出入りが自由なので日中は冷蔵庫にしまい直した方が良い。取り込みの目安は、指で触ってもベタベタせず、それでいて生魚の弾力がある状態がベストだ。
完成品はチャック付きのビニール袋に入れて、冷凍保存する。直接空気に触れたままだと、脂の乗っているものほど酸化が速く進み、味がすぐ落ちてしまう。はじめピンク色だった皮目もドドメ色になってしまう。
鰓と内臓を抜き取り、流水で開いた腹部を良く洗い流す。血合いも丁寧に除く。ふきんで水分を拭き取り、両面に軽く塩を振る。大き目の皿にハナダイを乗せ、上から日本酒かワインを注ぐ。酒の量は下側の皮目全体が浸る程度で良い。魚の上にハリ生姜を乗せると魚の臭みが無くなる。
これを家庭用の蒸し器に入れて蒸すと出来上がりだ。蒸す時間だが、蒸気が上がり始めてから15分ぐらいも入れておけば充分だ。火からおろす時に、ちょっと醤油を垂らすと香りが良くなる。仕上げに三つ葉などの香味野菜を乗せる。
ハナダイも30cmほどになると頭だけでも酒蒸しやカブト煮の材料になる。どちらも、酒の肴には絶品だ。目玉の裏のヌルヌルや唇付近のゼラチン質が特に美味い。
春秋の旬のマダイならなお結構だ。カマや砂ずりも酒蒸しやカブト煮料理風にする。寒天みたいにプリプリした淡泊で上品な脂が舌の上でとろける。
佐藤さんは私より5歳ほど年下だ。私が釣り具の通販をしていた時に、客として知り合った仲だった。彼は職場を抜け出し、事務所代わりにしていたワンルームマンションにわざわざ訪ねてきてくれた。
私も体格は良い方だが、彼はそれ以上だった。恵比寿様のようなふっくらとしたデカ顔と布袋様のような太っ腹をしているが、そんな彼もこと釣りに関しては繊細で、まるで乙女のような気遣いを見せる。
「コマセシャクリしかやらない」と言うくらいだから、仕掛けや竿に関してもかなりうるさい。不精者の私が仕掛け作りに精を出すようになったのは、まさに佐藤さんとの出会いがあったからだった。
最初に彼に見せてもらった仕掛けが、0.5号のハリと1.2号のハリスで出来たものだった。当時私が使っていた仕掛けは船宿の標準品で、ハリが2号でハリスが2号とかなり大ぶりだった。これだけでも、釣果の差は歴然だった。
あのパンパンに肉が詰まった指先で、老眼鏡を掛けなければ見失いそうな0.5号のハリにどうやってウイリーを巻いていくのかと首を傾げたものだった。よく見るとウイリーも色違いの糸を交互に巻き込んである芸の細かさだ。
からみ防止のビーズだ間を使い始めたのも佐藤さんだった。これも鼻くそほどのちっぽけな玉っころに開けられた小さな穴に1.5号だの1.2号だのハリスを通さなければならない代物だった。
私は6本バリの仕掛けを2組作っただけでギブアップしてしまった。しかし、佐藤さんは未だにそれを使いつづけている。確かに、カラミが少ないだけに糸に撚りが出来にくく仕掛けが長持ちする。ハリスに撚りが来ると魚の食いは格段に落ちる。
ハリの軸に蛍光塗料をコーテングした物をすぐ取りいれたのも彼だった。クッションゴムにも神経を使っていて、新製品が出ると必ず試していた。私は事務用品売り場で売っている幅広のゴムバンドを未だに使っている。100円も出すと10本は買える。
私のところも、竿だけは通販を始めてから潤沢にあった。オモリ負荷30号のコマセシャクリ専用竿に、80号のコマセカゴをぶら下げると謂う過酷な使い方だったが、最初の試作品が1年ほどで折れた以外は5年目にはいった今でも健在だ。
グリップがコマセで目詰まりしてカペカぺになったので、紙やすりで研磨したらその部分だけは新品同様になった。ヤスリかけの最中はコマセ臭くて閉口したものだ。5年分のコマセエキスが一気に発散された感じだった。
リールにしても竿にしても、釣りから帰るとシャワーを浴びせるぐらいでたいした手入れもしないから金属部分にはすぐ錆が出てしまう。5年も酷使すれば充分元は取れているのだが、同じ金を出すなら船代にまわしたい方だから年中汚い道具を持ち歩くことになる。
佐藤さんも、胴に乗る私の開発した竿が気に入ったようで、数ある愛竿の一つに入れてくれていた。彼のはオーソドックスなシャクリで、小幅でかつかなりソフトだ。潮や魚の食いに合わせてシャクリを変えることもあまりしなかった。これが結果的には彼のコンスタントな釣果を支えているようだ。
釣況で様々にパターンを変えたくなるのが人情だ。特に不調な時はなお更だ。しかし、大抵は迷路か泥沼にはまり込むだけだ。彼が変化をつけるとすれば、シャクリの後の待ちのタイミングだ。潮が流れない時や高いタナで食う大型には待ち時間をやや大目に取っていた。
竿も、潮の緩急と水深で使い分けていた。潮が速かったり、水深があったりすると軟調子の竿だと負けてしまうことがあるからだ。理屈は分かっているのだが、私は元々不精者だから、つい一種類で間に合わせてしまう。そんな私でも、予備の竿は必ず持つようにしている。
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